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2010年 05月 07日
グラン・パレ(1900年のパリ万博万国博覧会のために建てられた)で、タオの展覧会をやっているとのアナウンスがラジオから流れる。 展覧会" La Voie du Tao, un autre chemin de l’être " の案内は、こちらから。 ビデオによる案内も充実している。こちらから。 また、グラン・パレを外と中から眺めることができる心躍る映像がある。こちらから。 その中にあった la verrière (ガラス張りの屋根)という言葉の響きに反応。どこか夢がある響きだ。そういう建物を建てようとした人の心にも興味が湧いていた。 この機会に見ておきたい気持ちも生まれている。 #
by paul-tao
| 2010-05-07 18:02
2010年 01月 06日
あけましておめでとうございます。
今年も牛の歩みになりますが、よろしくお願いいたします。 昨年11月、カルチエ・ラタンの小さなリブレリーでこの本を見つける。解説はないが、中国の香りがする絵がふんだんにあり、眺めているだけで飽きない。 また、昨年12月の大阪では新しく出た岩波文庫を手に入れる。こちらは注釈が豊富で、参考になりそうな印象がある。 今年はこれらも取り入れながら進むことができればと思っております。 お付き合いいただければ幸いです。 #
by paul-tao
| 2010-01-06 08:39
2009年 11月 04日
IV. 1. 道は空の容器(管)のようなもの。 タオはすべてが際限なく流れることを意味している。 しかし、ここで新たな考えが現れる。 流れるすべてのものがどこに行くのか。 タオはダナイデス(彼女たちが満たすが、底なし)の樽のようなものである。 常に新しいものが来ては通り過ぎ、底なしの空へ押しやられる。 容器は割れ目である。 道は底なしである。 それゆえ、常に新しいものが存在しうるのだ。 世代の継続には際限はない。 無限の深淵、無限の流れを支配しているのは、無限の思想である。 道であるこの容器に来るものは、すなわち道から来るのである。 道はすべての存在を作り出す彼らの祖先である。 しかし、彼らは永らえるために生まれるのではなく、 道によって取り返され、底なしの割れ目に消え去るためである。 道は底なしの割れ目としての祖先のように見える。 道は空として、それを満たすように呼びかけているように見える。 道が親であるのは無限の割れ目としてではなく、母としてである。 2. 鋭いものは鋭利なままではなく、切れ味が落ちてくる。 結ばれたものはそのままではなく、解ける。 目をくらますものはその輝きを保ったままではなくい。 塵のように散らばっているものは、再び集まるだろう。 なぜならすべてのものには両極があるので、 一方が勝ってもそれは最終的なものではありえない。 もう一方の順番が巡ってくる。 したがって、何ものもそのまま留まることはできないのである。 3. 道の深淵は割れ目に消えたものが道を満たすことができないようにしている。 その深淵が永遠の原因である。 道は永遠にそこにある深淵のようなものである。 常に自らと等価である道と通り過ぎるだけの永遠の変化との間に対比がある。 道はある生物でも存在(神?)でも無でもない。 それは不確定なものである。 道。それは誰の子でもない。以前にはなかった。 一神教の信者は 「神が世界を創った」 と言う。 「だけど神は誰がつくったの?神は誰の子なの?」 と子供は問う。 「わからない」 と人は答える。 自己原因 (l'aséité ; causa sui) の概念は子供には難しすぎる。 道は君主に先立つもののように見える。 天空の君主を想像できる。 道が天空の君主に先立つと言うことは、すべてのものに先立つことを意味する。 また、すべてに内在するとも言える。 つまり、創造神、宇宙の支配者は存在せず、自然だけが在るのだ。 神は創造者であり、文化的対象に過ぎない。 先立つということは時間を意味する。 道は時間の中にはない。 #
by paul-tao
| 2009-11-04 23:39
2009年 07月 02日
IV
1. Vide, la Voie, malgré son emploi, ne se remplit jamais. Insondable, elle paraît être l'ancêtre des dix mille êtres. 2. Elle émousse leurs tranchants, dénoue leurs nœuds, tempère leurs éclats, rassemble leurs poussières. 3. Si profonde, elle paraît demeurer toujours. Fille de qui, je ne sais, elle paraît antérieure au Souverain. #
by paul-tao
| 2009-07-02 16:21
2009年 07月 02日
道沖、 道は沖なり
而用之或不盈、 而してこれを用うるに或いは盈(み)たず。 淵兮似万物之宗、 淵兮(えんけい)として万物の宗なるに似たり。 挫其鋭、 其の鋭を挫き、 解其紛、 其の紛を解く。 和其光、 其の光を和らげ、 同其塵、 其の塵を同じくす。 湛兮似常存、 湛兮(たんけい)として常に存するに似たり。 吾不知誰之子、 吾、誰の子なるかを知らず。 象帝之先 象は帝の先にあり。 ---------------------------------------------------------- 「道」 はむなしい容器であるが、 いくら汲み出しても、あらためていっぱいにする必要はない。 それは底がなくて、万物の祖先のようだ。 (そのなかにあっては) すべての鋭さはにぶらされ、 すべてのもつれは解きほぐされ、 すべての激しいようすはなだめられ、 すべての塵は (はらい除かれ) なめらかになる。 つねにふかぶかと水をたたえた深い池のようだ。 それは何ものの子であるのか、われわれは知らない。 象 (すがた) として、(太古の) 帝王より以前から存在していた。 (小川環樹訳) #
by paul-tao
| 2009-07-02 11:29
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